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1 人間は臭いを感じ取ることで生命を維持できるということ 2 人間は多くの生物の働きによって生きていられるということ 3 自然界には悪具を好む微生物が広く分布しているということ 4 微生物には物が腐って発生した悪臭物がエサになるということ (2)人称代名詞われ(私)の複数はわれわれ(私たち)だと通常考えられている。多くの場合それでいいのだし、実際にもそういうふうに使われている。けれども、われわれがいつでも必ずわれの複数といえるかとなると、そうとばかりはいえないだろう。自分を含んだ複数の人間をひとまとめにしてわれわれというとき、ことわるまでもなくそのわれわれのなかで自分と他の人々とは,なんらかの意味で親和的な間柄にある。たとえばグループ、学校、会社、党派、家、国など、性格や規模こそちがえ、一つの同じ集団に属していて、心の、あるいは利害の上で互いに結びついていることが前提になっているわけだ。しかしこの場合、自分と他の人々とは、それぞれの集団の外部に対しては同一の集団に属するものとして結びつきをもっているにしても、それぞれの集団内部を考えてみれば、自分と他の人々との間柄が対立を含んでいないとはいえない①。自分にとって近い集団から遠い集団へ、自分を含む小さな集団から大きな集団へという方向で、一般的には集団内部の自他の対立は大きいが、たとえ小さな身近かな集団のなかでも自他の対立はなくなるわけではない。それどころか、ときには近親憎悪と呼ばれるような、近い間柄であることがかえって激しい憎しみを相互に惹き起こすことさえあるのだ。このようなわけで、集団内部の自他の対立を問題にし出すと、われわれということは簡単にはいえなくなる②。もっといえば、ありえないことになる。つまり、(③ )、そこにあるのはつねにただ自己と他者たちだ、ということになるのである。 (中村雄二郎「哲学の現在」による) (注1)親和的な~:互いに親しい~ (注2)惹き起こす:生じさせる 問1 ①「自分と他の人々との間柄が対立を含んでいないとはいえない」という筆者の考えから言えることはどれか。 1 他の集団に属する人間とは、親和的な間柄になることは難しい。 2 同じ利害で結びついていない人間同士には、対立関係が生じやすい。 3 身近な関係以外の人間には、激しい憎しみを持たないとはいえない。 4 同一の集団にいる身近な人間との間でも、親和的になるとは限らない。 問2 ②「われわれということは簡単にはいえなくなる」のはなぜか。 1 一つの集団の中で、心や利害の上で互いに結びついているという関係はあまりないから 2 一つの集団の中で、複数の人間が互いに憎しみを持っているということは考えられないから 3 どんなに共通点の多い集団でも、その構成員が全く同じ考えを持つことは許されていないから 4 どんなに共通点の多い集団でも、複数の人間が全く同じ考えを持っていることはありえないから 問3 ( ③ )に入る最も適当な文はどれか。 1 われには複数はない 2 われは単純ではない 3 われはわれわれと同義である 4 われとわれわれは対立している (3)僕はかたよっている①。何がかというと、たとえば映画が観たいと思うと何本も立て続けて見る。観るのではなく、見るというのがふさわしい。本も読む時間がなくてイライラしてくると、バカ買いして本を眺めている。読むのではなく、眺めている。友達と会いたいと思うと、何人にも電話をする。会ってる時間がないのに約束しようとする。肉を食べ遇ぎていると思ったら半年食べなかった。白菜がうまいと思ったら毎日食べてたときもある。車が運転したくなって夜中に河ロ湖周辺まで行った。なぜか僕はかたよっていて、ちようどいい感じということを知らない気がする。つくづくバランスが悪いと思う。
僕の胸の中に壊れてしまったハートがある。それを抱えたまま生きている。捨ててしまった方が荷物は軽くなるのにいつまでも抱えている。
壊れたハートでこれからも歩いていく。
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